青い空はポケットの中に(はてな版)

ドラえもん、藤子不二雄、音楽、映画、アニメなど気ままに。

肥大化した観客の思い出と対峙するーー『STAND BY ME ドラえもん』

STAND BY ME ドラえもん
監督:八木竜一、山崎貴
2014年作品 / 95分 配給:東宝


映画『STAND BY ME ドラえもん』予告編 - YouTube

(※ネタバレ注意)

 産声を上げてから40年以上の月日が経過してもなお、当代の子どもたちに愛され続け、かつTVアニメ、映画、キャラクターグッズといったビジネスの第一線に鎮座する作品、と聞くと寡聞にして聞いたことがないが、少なくとも『ドラえもん』はその好例といって差し支えないだろう*1。現在公開中の3DCG映画『STAND BY ME ドラえもん』は、8月8日の公開から10日目にして動員数244万人、興行収入32.7億円を記録し、世界21か国での公開も決まった*2というのだから、大ヒットといって間違いないようだ。

 加えて、1980年公開の『ドラえもん のび太の恐竜』(監督:福冨博)以来続いてきた恒例の春休み映画の枠を飛び越え、久々の夏休み映画*3として、初の3DCG映画として、そして公式に「子ども経験者」(すなわち大人)に向けられた作品としても大変興味深い。監督は『ジュブナイル』、『ALWAYS 三丁目の夕日』で知られる山崎貴(八木竜一との共同監督)。これが『ドラえもん』の歴史に刻まれる映画になるだろうと期待に胸をふくらませた老若男女のドラえもんファンも多かっただろうし、主に監督の過去作を引き合いに、既に公開前からその出来を不安視する声も多く漏れ聞こえてきた。私自身もファン歴20年に満たない藤子不二雄ファンかつドラえもんファンの端くれとして、期待半分、不安半分の心境で、公開から数日後に劇場へ足を運んだ。

 『STAND BY ME ドラえもん』が、その興行実績に相応しい映画になっていたかといえば、首を傾げたくなる部分が多くあるのは確かである。しかしながら、主にネット上で、一部の映画ファンや『ドラえもん』に親しんできた世代からの憎悪にも似た声が噴出する中、そうした声に首肯したいか、といわれればそうではない。本作は『ドラえもん』の原作の、しかも短編から7つのエピソードを選び、それを90分強の長編映画として仕立て上げている。むしろ、原作の”再構築”作品として、ぜひともリアルタイムで観られて欲しいと思う。

 ”再構築”の対象となった原作の短編は、「未来の国からはるばると」(てんとう虫コミックス第1巻)、「たまごの中のしずちゃん」(同37巻)、「しずちゃんさようなら」(同32巻)、「雪山のロマンス」(同20巻)、「のび太結婚前夜」(同25巻)、「さようなら、ドラえもん」(同6巻)、「帰ってきたドラえもん」(同7巻)の7つ。映画では、およそ上に挙げた順に従って物語が展開していくことになる。ところで、公開前に漏れ聞こえてきたファンの声というのは、私が見た限りでは原作の大幅な改変に対する危惧であるとか、『ドラえもん』に似つかわしくないオリジナルエピソードで映画が作られることへの不安視だったように記憶している。果たして、公開された映画で展開されるのは、個々のエピソードを抽出してみれば、後述する「雪山のロマンス」を除き、大枠において原作に忠実といっても差し支えないものであった。台詞にも、原作からのそのままの引用が多く見られるほどだ。個々のエピソード自体はよく知られており、『ドラえもん』の短編でも特に名作といわれるものばかりとあって、多分に説明過多なところは鼻につくものの、物語を観客の記憶(思い出)に委ねることができる、という意味では成功しているとすらいえる。

 時代は『ALWAYS 三丁目の夕日』にも似た70年代前半の日本。ここに、22世紀の日本から、ドラえもんのび太を幸せにするために(嫌々ながらも)未来からやって来る。映画内でのドラえもんのび太を幸せにしなければならないという目的が課せられており、その目的を達成したら直ちに未来へ帰還しなければならないというのだ。ここで語られる幸せとはのび太としずかちゃんの結婚のこと。この目的を確実に達成させるために、セワシのび太の孫の孫)は「成し遂げプログラム」という装置をドラえもんにセットし、半ば強制的にドラえもんのび太の共同生活をスタートさせる。

 この時点で既に違和感を示す向きがあるかもしれない。私自身も「成し遂げプログラム」なるギミックが、『ドラえもん』という作品を”道徳的に健全な”方向へ一元化してしまう政治的な思惑への危惧をつぶやいていたりもする*4。事実、公開後にあちらこちらで聞こえてくる本作に対する議論の多くが、この「成し遂げプログラム」への言及で占められているようだ。ただ、この「成し遂げプログラム」が、そんな政治的な思惑とはかけ離れた単なる作劇上のギミックに過ぎないことは映画を観れば明らか*5だし、一方で、原作の7つの短編を繋ぎ合わせ、強引にも一本のストーリーラインに乗せるための仕掛け以上の効果を映画内にもたらしたかといえばそうでもないと感じる。もちろん、ファンとしては、ドラえもんの存在理由にも関わるような設定の改変への違和感は声を大にして表明したいところだが、このギミックが現在放送中のTVアニメにまで波及するわけでもなく、この映画のみの独自解釈として割り切るのも悪くはない。

 さて、映画では原作の短編を映像化するにあたり、時系列の大幅な組換えが行われている。選ばれた7つの短編を原作の発表順に並べたのが下表である。

サブタイトル 映画の時系列 初出 収録巻
未来の国からはるばると 1 『小学四年生』1970年1月号 1巻
さようなら、ドラえもん 6 『小学三年生』1974年3月号 6巻
帰ってきたドラえもん 7 『小学四年生』1974年4月号 7巻
雪山のロマンス 4 『小学六年生』1978年10月号 20巻
しずちゃんさようなら 3 『小学六年生』1980年11月号 32巻
のび太結婚前夜 5 『小学六年生』1981年8月号 25巻
たまごの中のしずちゃん 2 『小学四年生』1985年1月号 37巻


 ここで、映画のストーリーラインを貫くのび太としずかちゃんの結婚という「のび太の幸せ」が、原作のどの時点で明示されたのかが重要となる。よく知られたように、『ドラえもん』の長期にわたる連載史において、のび太としずかちゃんの結婚は連載開始から約2年後という早期に”ほぼ”確定している。上表に従えば、「未来の国からはるばると」と「さようなら、ドラえもん」の間に発表された、「のび太のおよめさん」(初出:『小学4年生』1972年2月号)がそれである。コミックスでは第6巻の最終話「さようなら、ドラえもん」の直前に配置*6されていることからも分かるとおり、『ドラえもん』という作品における一つの節目となったエピソードだ。

 もう一点、重要な人物がいる。出木杉である。映画では序盤からのび太のライバルとしてさも当たり前のように登場しているが、彼も連載当初から存在していたキャラクターではない。出木杉は『ドラえもん』の連載開始から実に9年後、「ドラえもんとドラミちゃん」*7というエピソードで初登場する。出木杉は、ほぼ確約されたかに見えたのび太の未来に揺さぶりをかけるために、当初から明確な目的をもって生み出されたキャラクターであり、『ドラえもん』においては「出木杉以前/以後」という点で、のび太の未来、そして幸せを再考させるためのキーマンとなっていく*8

 映画では『漂流教室』を下敷きにしたと思われる大幅なアレンジ*9が施された「雪山のロマンス」だが、このエピソードは出木杉の登場前に描かれた作品であることに留意する必要がある。映画では、「雪山のロマンス」におけるのび太の活躍をもってのび太としずかちゃんの結婚という未来が示され、「のび太結婚前夜」、そしてドラえもんの帰還へと接続する。だが、本来「雪山のロマンス」で示されたのび太としずかちゃんの結婚理由*10のび太自身も情けないと感じる唾棄すべき未来であった。結婚理由それ自体は映画でも大幅な改変はないだけに、直後に展開する「のび太結婚前夜」の立ち位置があやふやなものになってしまっている。周知のとおり、「のび太結婚前夜」は出木杉ジャイアンスネ夫と肩を並べてのび太とともに酒を酌み交わす場面で知られる。映画ではジャイ子の将来*11に加えて出木杉がしずかちゃんに振られたことが明確に示される*12が、果たして「雪山のロマンス」の未来をドラえもんが未来に帰還するに値する映画内の「正史」として遇して良いものかという疑念が生じてしまうのだ。

 つまるところ、のび太としずかちゃんの結婚という未来と、出木杉が登場するエピソードを原作の時系列と上手くマッチングさせなかったことが、一見、一貫性を保っているように見える映画のストーリーを継ぎ接ぎのような印象にしてしまっている。当然ながら、『ドラえもん』の連載期間は四半世紀にも及び、その間にキャラクターの性格や人間関係にもゆるやかな変化が生じている。映画内において、ドラえもんのび太、しずかちゃん、ジャイアンスネ夫と言ったキャラクターの性格に一貫性がなく、キャラクター同士の交流も淡白になってしまっているのも褒められたことではないように感じる。おそらく、監督側には「泣かせよう」といった意図はあまりなく、原作をロジカルに処理しようと試みた結果なのであろうが、原作の個々のエピソードは映画化に耐えうるクオリティになっていたものの、これらのエピソードを有機的に接続する試みは今一歩だったと思わざるを得ない。

 ただ、我が意を得たりという気分にさせてくれた部分もある。山崎監督が藤子不二雄ファンクラブ「ネオ・ユートピア」のインタビューで答えているように、「さようなら、ドラえもん」におけるドラえもんとの別離の場面について、(同じ視点での)ドラえもんのび太のそばにいるコマといないコマというたった2コマで描かれていることを高く評価している*13。私も「さようなら、ドラえもん」のみならず、その2コマには特別な思い入れがあるので、映画でも原作同様、同ポジションからの2カットで表現されていることには喜びを感じた。これまでのTVアニメ化及び映画化の例では、ドラえもんが泣きながら机の引き出しに向かうなど、あまりスマートとはいえない手法が見られただけに、この場面の映像化は高く評価したい。

 3DCG映画という点では、ピクサーをはじめとする現代ハリウッド映画への目配せというよりはコンプレックス*14の方が目立ち、また3D鑑賞の効果もあったとも思えず、特筆すべき点はないように思える。なお、そもそもにおいてその出自がロボットであり、シンプルな点と線で構成されているドラえもんについては、3DCGで表現されることにより彼のロボットらしさを際立たせる効果があった。一方で、整理された画面を旨とし、不要な線が漫画内に入ることを好まなかったとされる藤子・F・不二雄先生の美学からいえば、人間キャラクターの、特に毛髪や陰影の質感などは観る者に不気味の谷現象のような違和感を覚えさせてしまったのではないか。

 タケコプターで空を舞うシーンをいかに表現するかという点も、『ドラえもん』の映像化においてはよく引き合いに出される。映画では、ドラえもんとの出会い、そして初めてタケコプターで飛翔するシーンが夜に変更されている。IMAXを除けば、3D映画は2Dよりも画面が暗くなるのが一般的であり、ここは夜にする必然性がないように思える。また、のび太タケコプターで空中を暴走する活劇まがいのシーンは、一見するとアトラクティブではあるものの、私が個人的に重視しているタケコプターの浮遊感があまり感じられず、好ましいとはいえないものであった。浮遊感という点では、『ドラえもん のび太の恐竜2006』(2006/監督:渡辺歩)や、『ドラえもん のび太の人魚大海戦』(2010/監督:楠葉宏三)のほうがよほど良い仕事をしている。

 キャッチコピーの力は良くも悪くも偉大なのだろう。この映画の「いっしょに、ドラ泣きしません?」というフレーズは、「泣いた、感動した」という声とともに、絶大なる拒否反応を伴って迎えられた。確かに、涙とは往々にして偶発的なものであり、はなから観客の落涙を当てにしているかのようなこのキャッチコピーに対する違和感には同意したいところである。しかしながら、前述したように、この映画が観客を泣かせようとの明白な作為をもって作られたかと問われれば首をひねってしまう。むしろ、この映画は原作をドライに、悪くいえばビジネスライクに再構築しようと試みられている。『ドラえもん』に対する愛が人一倍であるがゆえに、それが首尾よく感動作に仕上がる*15こともあれば、自身の思惑と激突して見るも無残な作品になってしまう*16こともある渡辺歩の監督作品とは対極に近いといっていい。

 『ドラえもん』はその誕生から40年以上にもなり、連載開始当初に小学生だった読者の中には還暦を迎える者も出始めている。その意味で、今もなおゴールデンタイムにTVアニメがレギュラー放送され、毎年春休みには新作映画が公開されるとともに、新刊本やキャラクターグッズが作られているという現状は奇跡的ともいっていいのではないか。さらに、今夏には(その国民性とは相容れないといわれてきた)アメリカ合衆国での放送も決まり*17、概ね好評をもって受け容れられているという。

 このように、2005年の声優交代から首をもたげてきた、それぞれの「ドラえもん観」が、世代を超えてぶつかり合うところまで来ている、という点で、『STAND BY ME ドラえもん』は大変に興味深い映画である。冒頭でも述べたように、この映画は恒例の春休み映画以上の大ヒットを記録しているというのだから、普段ドラえもんとあまり親しく接していない層にも観られているということになる。

 歯がゆい点は多々指摘してきたものの、この映画は藤子ファンやドラえもんファンがシュプレヒコールを上げなければならないほど排除すべき映画ではない。その処理の仕方に甘さはあるものの、元が藤子・F・不二雄先生による特に優れた作品群であることが功を奏し、その映像化に際しても一定の水準をクリアしている。少なくとも、とりあえず山崎貴監督を悪しざまに罵っておけば通ぶれる、というような一部の映画ファンの風潮には与したくはないし、この映画の大ヒットに水を差すこともこの文章の本意ではない。むしろ、リアルタイムでドラえもんの3DCG映画化に立ち会えたという喜びを、ひとまずは噛みしめることにしたい。

 ところで、山崎監督と『ドラえもん』との縁は、監督の代表作の一つである『ジュブナイル』(2000)から始まっており、映画化に際しては藤子プロに許諾を取り、クレジットにも藤子・F・不二雄先生の名を入れている*18。だが、そもそも『ジュブナイル』は、かつてチェーンメールで広がり、未だに同人誌という形で蒸し返され続けている『ドラえもん』の偽の最終回を元に作られたものだった、というのも実に数奇ではあるのだが。

【公式サイト】
映画「STAND BY ME ドラえもん」公式サイト

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*1:ミッキーマウスは例外としても。ただ、かのミッキーですら映画化は『アナと雪の女王』の併映短編作品である『ミッキーのミニー救出大作戦』で18年ぶりにスクリーンに姿を現すまで待たなければならなかった。

*2:大ヒット中3DCG版「STAND BY ME ドラえもん」世界21の国と地域で配給決定! : 映画ニュース - 映画.com

*3:ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ』(1981/監督:神田武幸)以来

*4:http://twitter.com/Rainyblue/status/417512106133422080

*5:この記事を読む限り、製作陣に政治的な意図なんてものはなさそうだ。/「すてきな未来が来るんだぜ」と言う 映画「STAND BY ME ドラえもん」 山崎貴、八木竜一共同監督インタビュー (1/5ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)

*6:ドラえもん』のてんとう虫コミックス第1巻〜第45巻は藤子・F・不二雄先生の自選集という形を採っており、各話の配置も発表順とは限らない。また、各巻の最終話には感動作や大作が置かれることが多い。

*7:てんとう虫コミックスドラえもん プラス』第4巻収録/初出:『コロコロコミック』1979年9月号

*8:このあたりの事情は、小学館ドラえもんルーム編『ド・ラ・カルト〜ドラえもん通の本〜』(小学館文庫)に詳しい。

*9:後述するインタビュー記事において、山崎監督が『漂流教室』のファンであり、また、藤子・F・不二雄先生のSF短編『宇宙船製造法』と『恋人製造法』のファンであることが明かされている。/山崎貴インタビュー

*10:そばについててあげないと、危なくて見てられないから

*11:漫画家

*12:原作では出木杉がしずかちゃんに求婚したかどうかは定かではない。

*13:山崎貴インタビュー/映画のパンフレットでも同様の言及あり。

*14:15年後とは思えない未来描写、TOYOTAPanasonicといったスポンサーの商標を映画内に導入すること、目まぐるしいまでの視点の移動など。

*15:『ぼくの生まれた日』(2002)はその風景描写とともに名作といっていい。

*16:ドラえもん のび太と緑の巨人伝』(2008)

*17:THE PAGE(ザ・ページ) | 気になるニュースをわかりやすく

*18:山崎貴インタビュー