青い空はポケットの中に(はてな版)

ドラえもん、藤子不二雄、音楽、映画、アニメなど気ままに。

”ドラえもんらしさ”の先にあるもの――『映画ドラえもん のび太の月面探査記』

 『映画ドラえもん のび太の月面探査記』(監督:八鍬新之介、2019年3月1日公開)。脚本は直木賞作家で『ドラえもん』を始めとした藤子・F・不二雄作品からの影響を公言している辻村深月氏。オリジナルストーリーの映画ドラえもんはまず本作を基準にしたいと思わせる力作であった。原作はてんとう虫コミックス23巻「異説クラブメンバーズバッジ」。原作の短編がベースであれば、『のび太の恐竜』のように後日談を付加する展開にしてもよさそうだが、本作はそうではなく、原作ではわずか10ページ前後という短編のフォーマットを守りながら約2時間の映画にまとめている。原作からの本歌取りを形にしつつ、風呂敷を広げすぎないこのバランス感覚は流石だ。

 物語は上記短編を核とし、「月の裏に文明がある」という異説を唱えたのび太たちが月の裏に「ウサギ王国」という一種のイマジナリー・ワールドを築くところから始まる。そこに、不思議な転校生ルカが登場し実は……と展開していく。映画/大長編ドラえもんで転校生が登場するのはこれが初めてだが*1、役割とすれば美夜子(『のび太の魔界大冒険』)やリルル(『のび太と鉄人兵団)が近い。

 さて、非日常世界を舞台とする映画/大長編ドラえもんにおいて、嘘をもっともらしく描くためにはそれなりのテクニックが必要である。(主に初期の)映画/大長編ドラえもんでは出木杉がその役割を担った*2。落語でいうマクラに相当する。落語を好んだという藤子・F・不二雄先生らしく、噺家が羽織を脱ぐ瞬間の没入感、言い換えれば荒唐無稽な物語を日常の半歩先に接続するメディウムとしての役割がそこにあった。「ヘビー・スモーカーズ・フォレスト」や「魔法・科学同根説」を信じていた読者もいるのではないか。本作ではドラえもんが主にその役割を担っている。いささか急ぎ足ではあったが、近年の映画ドラえもんに最も足りない要素の一つであっただけに、こうしたロジカルな肉付けを怠らなかっただけでも一見の価値がある。

 また、日常が徐々にS・F(すこし・ふしぎ)な世界に侵食されていく序盤*3、世界を創造し、冒険する楽しさを描いた中盤*4など、映画/大長編ドラえもんの基本を踏まえたストーリーテリングにも抜かりはない。

 本作のハイライトは恐らく、静謐な、しかし覚悟を秘めた悲壮感を湛えている決戦前夜のシーンだろう*5。映画公開前に発表された6枚のポスターのビジュアル・イメージ*6からもその力の入れようが見て取れる。ポスターに記された台詞がやや広告的なキャッチコピー*7に過ぎ、藤子テイストをあまり感じられないのは残念ではあるが。

 ところで、優れた子ども向け作品は、容赦のない子どもの突き放し、あるいは世界の残酷さを(ぼかしながらも)子どもに直視させる要素を含んでいる*8。それはメインターゲットの子どもを置いてきぼりにした難解な/シリアスな展開にすればよいというものではない。児童文学を始め、優れた子ども向け作品はジュブナイル冒険譚としての体裁を保ちながら、子どもに一歩先へ踏み出す勇気、そして知性をもたらしてくれる。映画/大長編ドラえもんでは、一例としてのび太たちの生命の危機*9や(地球規模の)カタストロフィの暗示*10で表現されていた。本作にはそれが足りなかったのではないか。すなわち、冒険世界の箱庭的描写、意地悪な言い方をすれば「90年代後半〜2000年代前半の映画ドラえもん」レベルの作劇に留まってしまったように思う。原作の短編「異説クラブメンバーズバッジ」では、のび太たちが創った地底国の存在が外部に漏れ、マスコミや不動産会社が押し寄せるという展開が描かれた。月面世界やカグヤ星と日常世界との邂逅をもう少し見てみたかった気もする*11

 上記に関連して、ある作品のファンを自負するクリエイターが作ったリメイク/リブート作品は、ウェルメイドには仕上がるものの、果たして観客の想像を超えた体験を提供できているであろうかという問題がある*12。古参ファンの不興を買おうとも、あっと驚くような、しかし正しく『ドラえもん』である映画を観たいと思うのは贅沢な願いであろうか。「ドラえもんの通った後は、もうペンペン草も生えないというくらいにあのジャンルを徹底的に書き尽くしてみたい」とは藤子・F・不二雄先生の言であるが、まだペンペン草どころかドラえもんの周りにはまだ花が咲く余地があるはずだ。冒頭で「オリジナルストーリーの映画ドラはまず本作を基準に」と述べたのは、本作を再スタートラインに、リニューアル後のドラえもんわさドラ)らしい映画を作って欲しいというささやかな願いを込めてのことである*13。 

 しかし見どころは他にもある。カグヤ星のディストピア描写には唸ったし、エスパルの出自、そして終盤にルカが下した決断は、『竹取物語』(または羽衣伝説)に対する現代からのアンサーのように思える。生命倫理にまで踏み込んだ物語作家としての辻村深月氏の矜持をここに見る。「異説クラブメンバーズバッジ」は、彼ら(エスパル)にとっての羽衣でもある。また、ドラえもんがボスキャラクターであるディアボロに放った台詞(「同じ機械として恥ずかしい!」。この台詞はアフレコの際に急遽追加されたという。)は、来るべきAI時代に射程を広げている*14

 全体的には、(藤子・F・不二雄先生没後を含めた)映画ドラえもん史を俯瞰した上での丁寧なセルフリメイクといった趣の一作に仕上がっている。さすがは辻村深月氏、「異説クラブメンバーズバッジ」を二転三転させながらここまで使いこなせる作家はそういないだろう。懐古に終始せず、あえて今っぽくしたキャラクター造形(ルカの非・藤子キャラ的な目、髪型、ファッション)もアニメーションの特質を生かした表現だ。彼らが異世界の存在であることを観客に強く印象づけることに成功している。

 トロフィー・ガールとしてのヒロイン(本作ではルナ)、あるいはしずかの役割*15、また敵キャラクターとしてのロボット・AIの扱いなど他に言いたいことがないわけではないが、次作以降の課題として措いておくことにする。

 最後に。あっさりとした、そして必要以上に余韻を残し過ぎないラストは好ましい。立つ鳥跡を濁さず(落語のサゲのように)。大冒険を終えたのび太たちは、翌日からは何事もなかったかのように学校に通うのだ。裏山の片隅に埋められたバッジとマイクはさながらタイムカプセルのようである。タイムカプセルは思い出を封印する装置でもある。だが、得てしてそれは掘り返されることなく、思い出を思い出のままに留めておいてくれる。

 


「映画ドラえもん のび太の月面探査記」予告2【2019年3月1日(金)公開】

 

 

*1:短編ではてんとう虫コミックス23巻「ぼくよりダメなやつがきた」の多目くんに一例。「異説クラブメンバーズバッジ」と同じ収録巻なのは偶然か?

*2:ex.『のび太の大魔境』、『のび太の魔界大冒険』

*3:ex. 『のび太の魔界大冒険』、『のび太と夢幻三剣士』

*4:ex.『のび太の海底鬼岩城』、『のび太の日本誕生

*5:cf. 『のび太の鉄人兵団』

*6:

スネ夫「大人のフリが上手な人が大人なだけだよ」 ポスターがエモい - withnews(ウィズニュース)

*7:cf.「ドラ泣き」。ただし、私は『STAND BY ME ドラえもん』は作品としてそれなりに評価している。拙ブログ2014.8.31付の記事を参照。

肥大化した観客の思い出と対峙する 『STAND BY ME ドラえもん』 - 青い空はポケットの中に(はてな版)

*8:個人的な好みで言えば、森絵都作品(『カラフル』他)、那須正幹作品(『ズッコケ三人組』シリーズはあまりに有名か)。『ドラえもん』の中編では「ゆうれい城へ引っ越し」(てんとう虫コミックス12巻)のパパとママの会話などに一例。

*9:ex.『のび太の宇宙小戦争』

*10:ex.『のび太と雲の王国』

*11:オープニングに登場した日本の月面探査機が特にストーリーに関わることがなかったのは少しもったいなかった。

*12:ex. 『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』他

*13:のび太のひみつ道具博物館』、『のび太の宇宙英雄記』のように子ども向け作品という原点に立ち返る、あるいは『新・のび太の日本誕生』(個人的にはこれがリニューアル後の映画ドラえもんの最高傑作)のように原作を乗り越えたリメイク作品を創り上げるという方法もその一つだろう。

*14:cf.『のび太とブリキの迷宮』

*15:ex. 『のび太の宝島』。荻上チキ氏が自身のラジオ番組で言及。

【音声配信】ドドドドドド、ドラえもんの映画を観に行ったら・・・~大きなお友達!?荻上チキ▼2018年3月5日(月)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」)